プロ 野球 パ リーグ 史上、最も熱かった伝説のダブルヘッダー
場内は異様な雰囲気に包まれていた
秋の夕刻、深まる雰囲気
1988年10月19日、秋の夕刻に川崎球場では、プロ野球歴史に残る重要な一戦が行われていた。
パシフィック・リーグの優勝をかけ、近鉄バファローズとロッテオリオンズが最終ゲームで対決。
近鉄はこの日のダブルヘッダー第1試合での奇跡的な逆転勝利により、この日の第2試合で勝利すればリーグ優勝が決まるという状況であった。
夕闇が訪れるにつれて、球場は緊張感でいっぱいになり、場内は異様な雰囲気に包まれていた。
緊迫した攻防戦
ロッテの先制と両投手の好投
試合は予想に反してロッテがマドロックのソロ本塁打で二回に先制し、その後は近鉄・高柳出己とロッテ・園川一美の両投手が腕を競い合い、互いに譲らない投手戦となっていた。
試合は、スコアボードの「0」に並ぶ試合展開となった。
ロッテの投手陣が近鉄打線を抑え込んでいった。
近鉄の攻勢は6回から始まる
オグリビーの同点ヒット
6回表、ついに近鉄は反撃を開始する。
先頭打者が出塁し、その後バリー・オグリビーが放った鋭い打球は、同点となるタイムリーヒットに。
スタンドからは歓声が上がり、近鉄ファンにとって待ちに待った瞬間であった。
敵地でありながら、近鉄の選手たちは懸命に応戦し、試合の流れを掴もうとする。
吹石と真喜志のギリギリホームラン
その後も攻めの手を緩めない近鉄は、7回表にもチャンスを迎える。
一死から吹石がソロホームラン、二死から真喜志がソロホームランを放ち、ついに逆転し2点のリードを奪う。
スタンドは歓喜に沸き、近鉄ファンは優勝への期待を一気に膨らませた。
しかし、この試合、この後、激しい展開をみせることになる。
7回裏、ロッテは、岡部がソロホームランを放ち、西村の適時打で同点に追いつく。
近鉄の勢いに大興奮
ブライアントのホームランで近鉄リード
8回表にブライアントの一発が飛び出し、近鉄が1点のリードを奪う。
この瞬間、川崎球場に詰め掛けた近鉄ファンは歓喜の渦に包まれ、誰もが近鉄のリーグ優勝を確信した。
エース阿波野の登板
阿波野のマウンドへの起用
8回裏、近鉄は逃げ切りを図りエース阿波野をマウンドに送った。
彼の登板により、川崎球場の近鉄ファンの期待はさらに高まり、最高潮に達していた。
高沢の同点ホームラン
しかし、ロッテの反撃は執念を見せた。
8回裏、ロッテは高沢が阿波野からソロホームランを放ち、同点となる。
この両チームの総力を挙げた試合は、民衆の心を捉え、テレビ朝日が異例の対応に動き出さざるを得ない状況となる。
テレビ朝日がテレビ中継を急遽決定
テレビ朝日の生放送と全国の注目
1988年10月19日、テレビ朝日は「10・19川崎」の緊迫した展開を全国に向けて急遽、生放送を決定した。
その日、多くの野球ファンがテレビの前に集まり、呼吸をするのも忘れるほどの興奮に包まれた。
両チームが変わるごとに激しい攻防を繰り広げる中、視聴者も感情を共有し、一喜一憂した。
このゲームが持つ意味合いは、ただのスポーツの試合を超え、国民の関心事となっていた。
「10.19」の騒動
牽制アウトへの抗議
ロッテと近鉄は熾烈な戦いを繰り広げていたが、大きな事件が9回裏に訪れる。
ロッテの攻撃中、二塁走者が牽制プレイでアウトとされ、ロッテ監督の有藤が激しく審判へ抗議した。
有藤監督の抗議が続く中、観客からはさまざまな声が飛び交った。
一部は有藤の姿勢に同情的だったが、大多数は試合を止めるなという不満の声であった。
有藤の抗議は長引き、なんと1イニングの攻撃時間に相当する9分間にも及んだ。
この出来事は、ロッテと近鉄双方のファンだけでなく、日本の野球ファンにとっても忘れられない一幕となった。
時間の壁
延長戦のルール
1988年のプロ野球において、試合時間が4時間を超えたら次のイニングには入らないという制限があった。
9回裏が終了した時点での残り時間から10回が事実上の最後のイニングとなっていた。
近鉄の優勝が消滅
10回表、先頭打者のブライアントが出塁するも、後続が凡退し近鉄は無得点に終わる。
この瞬間、近鉄の優勝は消滅し、西武ライオンズの4連覇が決定。
近鉄にとっては優勝への大きな挫折を意味する結果となった。
近鉄ナインやファンにとって、この日の様々な出来事は、一生忘れられない記憶として刻まれることとなる。
時間の壁に敗れた近鉄ナイン
近鉄の敗北を拒否する闘い
この試合は、近鉄が優勝を逃したことで敗北となった。
しかし、近鉄ナインには10回裏の守備が残っていた。
10回裏、近鉄ナインは、ロッテを無得点に抑えるチームスピリットを見せた。
その闘いを見守るファンも、選手たちの努力に感動し、その闘志に敬意を払った。
試合結果が引き分けとなったことは残念な結果ではあるが、選手たちの闘いぶりは忘れることのできないものとなった。
伝説の名勝負としての揺るがない評価
10・19川崎の試合は、プロ野球史上の最高の名勝負として刻まれている。
この試合で起こった様々な出来事やエピソードは、多くの人々によって語り継がれ、伝説として語り継がれている。
この試合はただの試合だけでなく、それを超えたエンターテイメントとして観客を魅了した。
近鉄の最高傑作としての「10.19」
この試合は、近鉄バファローズにとって最高の傑作といえる。
勝利すれば8年ぶりのリーグ優勝という大きな目標を掲げ、選手たちは全力で戦かった。
試合展開は緊迫し、最後まで結果が分からない状況が続いた。
それだけに、選手たちの闘志や意地が試合に華を添え、観客に感動を与えることになった。
奇跡は続く
翌年の1989年は、パリーグは激しい優勝争いを行う。
西武、近鉄、オリックスの3チームが俗にいう熱パを演じる。
この年のペナントレースは史上稀にみる大混戦となり、1位、2位、3位の勝率がそれぞれ1厘差というものであった。
この年は、ブライアントの奇跡的な活躍により近鉄が9年ぶりの逆転リーグ優勝を果たす。